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伊藤 賀一(いとう・がいち)
東進ハイスクール等を経て、リクルート「スタディサプリ」において高校日本史・中学歴史など社会科7科目を担当中。「日本一生徒数の多い社会科講師」の異名をもつ。
2020年7月3日に発行しました 講談社 学習まんが 日本の歴史(全20巻)におきまして本文中の表記に誤りがありました。読者のみなさまに深くお詫び申し上げます。
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1962年生まれ。群馬県出身。明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業。高崎市教育委員会教育部文化財保護課長を経て明治大学文学部准教授。博士(史学)。古墳時代を中心とする考古学を専攻。濱田青陵賞・藤森栄一賞を受賞。主な著書に『もっと知りたいはにわの世界 古代社会からのメッセージ』(東京美術・アート・ビギナーズ・コレクションプラス)、『ビジュアル版 古墳時代ガイドブック』(新泉社・シリーズ「遺跡を学ぶ」 別冊)、『東国かた読み解く古墳時代』(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー』、『前方後円墳と東国社会』(吉川弘文館 『古代の東国 第1巻』)など。
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「日出づる処の天子、政治改革す」。隋に「蛮夷」とよばれた倭国の摂政・厩戸皇子は汚名返上のため国のかたちを整える。
遠藤 慶太えんどう・けいた
飛鳥時代、この巻でたどる150年あまりは、日本という古代国家が形をあらわしてくる時代です。日本最初の女帝・推古天皇は、聖徳太子・蘇我馬子とともに政治をおこない、遣隋使を送りました。その後も、激動する東アジアの情勢に翻弄されながら、天皇を中心とした国のありかたが模索されました。
いま歴史の舞台であった飛鳥を訪れてみると、『日本書紀』が伝える事件の現場はおだやかな田園となり、それがかえって想像をかきたててくれます。
いってみれば日本という国の青春時代にあたる飛鳥・藤原の150年、白村江の外征や壬申の乱といった危機をのりこえて、律令国家が姿をあらわすまでをたどります。
1974年兵庫県生まれ。大阪市立大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在は皇學館大学文学部教授。日本古代史を専攻。著書に『平安勅撰史書研究』(皇學館大学出版部)、『日本書紀の形成と諸資料』(塙書房)、『六国史――日本書紀に始まる古代の「正史」』(中公新書)などがある。
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「御仏の光で国中を照らしたい」。あいつぐ飢饉や天災。聖武天皇は、民衆を救うため巨大な仏像の造営を決意する。
遠藤 慶太えんどう・けいた
奈良の大仏といえば、日本人なら誰もが知っていることでしょう。奈良時代は、この巨大な金銅仏がつくられた時代です。律令という法典にもとづく政治がおこなわれ、国際色豊かな天平文化が花開いた平城の都――奈良を訪れるときは、現在も発掘調査が続く平城宮跡をぜひ訪れてください。約8000人の官僚が勤務したみやこの日常は、木簡などの新たな史料にめぐまれて、いきいきとよみがえってきます。地方と都城、日本と外国をいきかう人・モノは絶えることなく、なかには遠く西域や波斯の香りさえ漂っていました。大仏はこれら多彩な群像を見守ってきたのです。
本巻では平城京の光と影を、最新の研究成果によって描きます。
1974年兵庫県生まれ。大阪市立大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在は皇學館大学文学部教授。日本古代史を専攻。著書に『平安勅撰史書研究』(皇學館大学出版部)、『日本書紀の形成と諸資料』(塙書房)、『六国史――日本書紀に始まる古代の「正史」』(中公新書)などがある。
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「千年の都へ。平安王朝が形成!」。無実の罪で右大臣から大宰府へ。菅原道真は、なぜ「学問の神様」となったのか?
遠藤 慶太えんどう・けいた
2019年秋、京都で三十六歌仙絵の展覧会がありました。会場で特に印象に残ったのは、艶麗な後ろ姿の女性像――伝説的な歌人・小野小町です。
この巻であつかう時代は、桓武天皇の政治改革から藤原氏北家による摂関政治まで、およそ100年あまり、文学史でいえば小町や在原業平をはじめとする六歌仙が活躍したころです。この時代は、じつは律令にもとづく政治が曲がり角をむかえ、実情にあわせて変容をとげてゆく時期でもあります。東北の地震や富士山の噴火など、自然災害に向きあいながら日々の暮らしを営んでいた人々を忘れることなく、時代の変化を読みとっていただければと思います。
1974年兵庫県生まれ。大阪市立大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在は皇學館大学文学部教授。日本古代史を専攻。著書に『平安勅撰史書研究』(皇學館大学出版部)、『日本書紀の形成と諸資料』(塙書房)、『六国史――日本書紀に始まる古代の「正史」』(中公新書)などがある。
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「雅なる文学の華ひらく」。宮中では、清少納言『枕草子』や紫式部『源氏物語』などの文学作品が生まれる。
遠藤 慶太えんどう・けいた
平安時代と聞いて連想するのは、遣唐使が停止されたことで日本独自の文化がはぐくまれ、仮名文字が生まれ、女性による文学が盛んになった「国風文化」ではないでしょうか。
しかし近年はそのとらえかたが変化してきました。朝廷のオフィシャルな場面では漢語漢文の知識が求められます。藤原道長にしても熱心に漢籍を集めました。和・漢いずれかひとつを選ぶのではなく、朝廷の要望に応じた外来文化の選択、それが平安時代の特徴です。それを『源氏物語』では「やまとだましい」(漢学の知識を日本の実情にあわせて応用する才覚)と表現しているのです。
絵巻などでも残された宮廷の世界へ、 読者のみなさんとともに分け入ってみたいと思います。
1974年兵庫県生まれ。大阪市立大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在は皇學館大学文学部教授。日本古代史を専攻。著書に『平安勅撰史書研究』(皇學館大学出版部)、『日本書紀の形成と諸資料』(塙書房)、『六国史――日本書紀に始まる古代の「正史」』(中公新書)などがある。
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「武士の時代、はじまる!」。源義経は、兄の頼朝の命を受け、一の谷、屋島、壇の浦へと平氏を追いつめていく。
呉座 勇一ござ・ゆういち
これまで武士は地方の乱で活躍してきましたが、基本的には貴族たちを守るボディガードでした。
しかし朝廷での勢力争いがはげしくなると、武力によって政治の実権をにぎろうという動きが生まれ、源氏・平氏が武家の棟梁として力をのばしました。保元の乱・平治の乱という京の都で起こった戦乱に勝利した平清盛はついに政治の中心に立ち、平氏政権をつくります。しかし平氏の横暴なふるまいは、貴族たちや他の武士の反発をまねき、5年にわたる源平合戦の末に壇の浦で滅亡します。
しかし平氏を滅ぼした源頼朝は、それでも戦いをやめませんでした。頼朝が次に敵としたのは、弟の源義経と奥州藤原氏でした。彼らを滅ぼすことで、頼朝は唯一の武家の棟梁になったのです。その500年後にかつて奥州藤原氏の都だった平泉を訪れた松尾芭蕉は次の句を詠んでいます。「夏草や 兵どもが 夢の跡」。
1980年東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史──「下剋上」は本当にあったのか』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。主な著書に『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)、『応仁の乱──戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)、『陰謀の日本中世史』(角川新書)などが、編著に『南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』(洋泉社歴史新書y)がある。
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「海から迫る大艦隊!」。大帝国・元は、高麗を服属させ、次の標的である日本に大軍をさしむける。
呉座 勇一ござ・ゆういち
源頼朝は征夷大将軍となり鎌倉に幕府をひらき、御家人たちと御恩と奉公の関係を結びます。しかし源氏将軍は3代で絶え、代わって北条氏が幕府の実権をにぎります。こうした混乱をみた後鳥羽上皇は承久の乱で幕府をたおそうとしますが、戦いに敗れ、隠岐に流されます。上皇が臣下によって追放されることは日本の歴史の中で初めてでした。これによって武士が政治の中心をになう日本史の流れがきまります。鎌倉幕府がつくった基本法典「御成敗式目」は江戸時代になっても使われました。武家政権の基礎はこの時期にきずかれたのです。モンゴルとの戦いは「神風」によって勝利したと考えられ、その後の日本社会に大きな影響をあたえました。
また鎌倉時代は、新しい仏教が生まれた時代でもあります。浄土宗・浄土真宗・日蓮宗(法華宗)・時宗・臨済宗・曹洞宗など、現代でも盛んなこれらの宗派はこの時代にはじまったのです。
1980年東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史──「下剋上」は本当にあったのか』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。主な著書に『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)、『応仁の乱──戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)、『陰謀の日本中世史』(角川新書)などが、編著に『南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』(洋泉社歴史新書y)がある。
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「滅亡、新政、動乱!」。後醍醐天皇にしたがい挙兵した足利尊氏は、やがて帝と対立。時代は混乱の度を増してゆく。
呉座 勇一ござ・ゆういち
2019年は新天皇の即位が話題になりましたが、天皇がふたりいたときを知っていますか。南朝と北朝というふたつの朝廷がならび立ち、ふたりの天皇がたがいに「自分こそが本当の天皇だ」と争った時代を南北朝時代といいます。そのきっかけは、鎌倉時代の後半に、天皇家が持明院統と大覚寺統というふたつの皇統に分かれたことです。大覚寺統の後醍醐天皇は、自分の子どもを次の天皇にしようと考え、それに反対する鎌倉幕府を、武士たちの力を借りて滅ぼします。後醍醐天皇は公家中心の建武の新政をはじめますが、武士たちの反発によって失敗、有力武士の足利尊氏が室町幕府をひらきます。ところが後醍醐天皇は吉野に逃げて南朝をひらき、北朝・室町幕府と争います。
この南朝と北朝をひとつにまとめたのが、室町幕府3代将軍の足利義満です。義満は中国との貿易で莫大な富をきずき、京都の北山にきらびやかな山荘を建てました。この北山山荘の一部が、現在の金閣寺です。
1980年東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史──「下剋上」は本当にあったのか』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。主な著書に『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)、『応仁の乱──戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)、『陰謀の日本中世史』(角川新書)などが、編著に『南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』(洋泉社歴史新書y)がある。
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「さらなる大乱、下剋上の世へ!」。応仁・文明の乱の当事者にして、乱終結の功労者。日野富子は、戦乱の世をどう生きた?
呉座 勇一ござ・ゆういち
みなさんが日本史のなかで一番好きな時代は、武田信玄や上杉謙信が活躍した戦国時代ではないでしょうか。戦国時代は100年以上にわたって戦乱が続いた時代です。戦国武将が勇ましく戦うすがたを想像するのは楽しいですが、多くの人びとが戦いで命を落とした悲しい時代でもあります。この巻では、戦国時代の原因となった応仁・文明の乱を中心に、室町幕府がおとろえていく様子をみていきます。
一方、室町時代は文化の面でもなじみ深い時代です。畳・障子・床の間などで成りたつ和室、しょう油や砂糖で味つけする和食など、現代の私たちのくらしにまで引きつがれている日本らしい生活文化はこの時代に生み出されたのです。けれども室町文化を、中国の文化と関係ない純日本風の文化と考えるのはまちがっています。雪舟が中国に渡って水墨画を学んだように、室町文化も中国文化の影響を強く受けていました。
1980年東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史──「下剋上」は本当にあったのか』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。主な著書に『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)、『応仁の乱──戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)、『陰謀の日本中世史』(角川新書)などが、編著に『南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』(洋泉社歴史新書y)がある。
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「天下を、この手に!」。天下布武。室町幕府を再興し、乱れた畿内をひとつにするべく信長の戦いがはじまる。
高尾 善希たかお・よしき
いまも昔も、あたらしい技術が伝来したり発明されたりすると、社会も著しく変化します。日本に鉄砲が伝来し、火薬を用いた武器の技術が発達すると、戦い方の様相も変化し、群雄割拠していた日本列島に、強大な統一政権がつくられます。
そのさきがけとなった人物が、尾張国出身の織田信長です。桶狭間の戦いで今川義元をやぶると、美濃国などを制し、足利義昭を奉じて京都に入り、天下統一への足掛かりとします。
信長がこれだけ成長できた理由は、もちろん、彼が軍事的に有能であったからということもありますけれども、まず、畿内に近い豊かな尾張国周辺を押さえることができたという地理的要因も、大きかったでしょう。
有能な家臣に恵まれて、羽柴秀吉などの身分の低い人物も積極的に登用しました。
ただし、信長の戦いの道は、けっして平坦なものではありませんでした。反信長の包囲網がつくられて、信長は危機に陥ります。
しかし、ひとつずつ勢力をうちやぶり、近江国に安土城という豪壮な城を築きました。
1974年千葉県生まれ。立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程研究指導修了満期退学。博士(文学)。日本近世史を専攻。現在、三重大学准教授。主な著書に『やさしい古文書の読み方』(日本実業出版社)、『驚きの江戸時代 目付は直角に曲がった』『歴史好きのための古文書入門』(以上、柏書房)、『忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち』(KADOKAWA)などがある。
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「天下人へ駆けあがれ!」。織田家臣団のなかでも異例の出世をとげた秀吉。驚きの知らせは、危機か、幸運か?
高尾 善希たかお・よしき
天下統一目前と思われた織田信長は、家臣の明智光秀によるまさかの裏切りに遭い、京都の本能寺にて最期を迎えます。
信長の後継者となったのは、同じく信長の家臣であった羽柴秀吉です。秀吉は、山崎の戦いで光秀を滅ぼすや、信長の孫である三法師を担ぎ、信長政権の後継者となって、ライバルの柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破ります。
秀吉は信長がなし得なかった天下統一を実現し、関白という、朝廷の最高位にまで昇りつめます。
秀吉は尾張国の百姓の出身であったといわれています。大名や土豪の家の出身ではありません。
結局、戦国の生き残りレースの頂点に立った人物は、身分の低い階層の出身でした。そこに、歴史の面白さ・奥深さがあると思います。ほかの大名でも、家の出自が明らかではない人物がいます。大きな変革の時代であったことの証拠です。
秀吉は巨大な大坂城・伏見城を築き、諸大名に朝鮮への出兵も命じます。しかし、秀吉の生命は尽きようとしていました。
1974年千葉県生まれ。立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程研究指導修了満期退学。博士(文学)。日本近世史を専攻。現在、三重大学准教授。主な著書に『やさしい古文書の読み方』(日本実業出版社)、『驚きの江戸時代 目付は直角に曲がった』『歴史好きのための古文書入門』(以上、柏書房)、『忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち』(KADOKAWA)などがある。
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「天下分け目の決戦を制す!」。着々と主導権をにぎる家康、その野望に立ちふさがる石田三成。ついに一大決戦がはじまる!
高尾 善希たかお・よしき
江戸時代の錦絵のなかに「餅米を織田信長がつき、豊臣秀吉が餅をこねて、徳川家康が座ったままで餅を食べている」という様子を描いた風刺絵があります。いわゆる「天下餅」は、結局、織田信長の同盟者であった徳川家康の手に落ちました。
伏見城で豊臣秀吉が没すると、関東を支配していた家康は、豊臣恩顧の大名の多くを味方につけて、関ヶ原の戦いで石田三成の軍をやぶり、天下の覇者になります。家康は征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開き、秀吉の遺児である秀頼を大坂城に滅ぼし、260年間続いた泰平の世の土台をつくります。
2代将軍徳川秀忠・3代将軍家光も、諸国の大名を軍事力や法によって統制して、あるいは、キリシタンを弾圧して海外からの脅威の芽を摘むなどして、徳川将軍家中心の、戦争のない世のなかのしくみを整備しました。もちろん、軍事力による「平和」なのであって、現在のひとが考える理想の「平和」とは異なりますけれども、百姓が安心して耕作し、財産や生命がある程度は保障される世のなかが、ようやく実現したのです。
1974年千葉県生まれ。立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程研究指導修了満期退学。博士(文学)。日本近世史を専攻。現在、三重大学准教授。主な著書に『やさしい古文書の読み方』(日本実業出版社)、『驚きの江戸時代 目付は直角に曲がった』『歴史好きのための古文書入門』(以上、柏書房)、『忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち』(KADOKAWA)などがある。
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「文化の担い手、主役は町人!」。50歳を過ぎてから天文を学び、日本をくまなく測量し精密な地図をつくった伊能忠敬とは?
高尾 善希たかお・よしき
「日本の風景」といえば、見渡す限りの田園風景を思い浮かべるひとが多いでしょう。この風景の多くは、江戸時代になってつくられました。各地で治水の普請(土木工事)がおこなわれ、それにともなって新田が開発されて、生産力も向上しました。その意味では、江戸時代は「民富の時代」であったのです。戦争がなければこそ、生産力の向上に、あらゆる力を注ぐことができました。そのなかで、百姓・町人などの庶民において、独自の文化が花開きました。
しかし、その反面、米価が安くなったり、物価が高くなったりしたために、武士や武士の政治機構(幕府・藩など)は、窮乏化が深刻になりました。幕府もいくどか財政を立て直そうと考えます。8代将軍徳川吉宗は、享保の改革のなかで、米価の安定化をはかるなどしていますし、田沼意次も重商主義の政策をとりました。諸政策には、成功も失敗もありましたけれども、窮乏化の抜本的な解決には至りませんでした。
そのいっぽうで、江戸時代後期、「鎖国」政策のなかにあった日本でも、海外からの脅威の足音が聞こえてきました。
すこしずつ、世のなかは動いていったのです。
1974年千葉県生まれ。立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程研究指導修了満期退学。博士(文学)。日本近世史を専攻。現在、三重大学准教授。主な著書に『やさしい古文書の読み方』(日本実業出版社)、『驚きの江戸時代 目付は直角に曲がった』『歴史好きのための古文書入門』(以上、柏書房)、『忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち』(KADOKAWA)などがある。
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「風雲急! 時代が動く」。農民の家に生まれ、将軍警護から西洋式軍隊を率いるまでになった土方歳三の生きざまとは?
高尾 善希たかお・よしき
日本史では、外交関係と政治体制の変革が密接に関わることが、ときどきあります。1853年(嘉永6)、ペリー率いる黒船の艦隊が浦賀に来航すると、江戸幕府はいままでにない危機と遭遇し、政治体制の変革の必要性に迫られました。いまの日本でも、「黒船」は海外からの脅威の比喩に使われるほどです。
幕府は黒船への対応についてひろく意見を募りました。海外と交渉するにあたり、日本が幕府や藩をこえて統一国家としてまとまり、意見を集約すること(「公議」)をめざします。まず、外様大名・親藩大名を問わず、有力な大名同士によって政治の舵取りをする体制に移行しようとしますが、主導権争いによって、多くの血が流れました。
最後は、戦いあっていた薩摩藩と長州藩が手を結び、幕府に対抗することになり、15代将軍徳川慶喜は朝廷に政権を返上します(大政奉還)。薩摩藩と長州藩は、天皇からの命令をうけて、徳川家を武力で倒し、明治維新をなし遂げます。日本は近代国家への一歩を踏みだしたのです。
1974年千葉県生まれ。立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程研究指導修了満期退学。博士(文学)。日本近世史を専攻。現在、三重大学准教授。主な著書に『やさしい古文書の読み方』(日本実業出版社)、『驚きの江戸時代 目付は直角に曲がった』『歴史好きのための古文書入門』(以上、柏書房)、『忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち』(KADOKAWA)などがある。
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「百事御一新、すべてを新しく!」。元号は明治に、江戸は東京に改称。武士の時代は終わり、近代国家が誕生する。
舟橋 正真ふなばし・せいしん
この巻では、明治時代のはじまりから、近代国家として日本が形づくられていくまでのけわしい道のりを描いています。
薩摩、長州を中心とする新政府は、将軍家を頂点とする国の仕組みを抜本的に変え、天皇を中心とする新たな中央集権の国家をつくりあげていきます。さらに帝国議会を開設し、大日本帝国憲法を制定することで、立憲国家としての内実を整えていきました。
そのいっぽうで、外征優先か内治優先かをめぐる政府内の対立、さらには急進的な近代化に対する不平士族の反乱、そして民主主義的改革を求める自由民権運動の展開、憲法のあり方をめぐる政府内の権力闘争など、さまざまな「異議申し立て」が次々と起こりました。
そもそも明治維新とは、いったいなんであったのでしょうか。彼らが考えた国家のあり方に問題はなかったのでしょうか。そのなかで起きた対立と矛盾をどのように捉えればよいでしょうか。
本巻を通して、明治という新しい時代の到来と近代国家が形成されていくダイナミズムを体感しながら、そこにみえる「光」と「影」がもつ意味をぜひ考えてほしいと思います。
1982年茨城県生まれ。日本大学大学院博士課程修了。博士(文学)。専門は近現代史で、特に「皇室外交」に詳しい。現在、成城大学非常勤講師。著書に『「皇室外交」と象徴天皇制 1960~1975年』(吉田書店)、共著に『戦後史のなかの象徴天皇制』(吉田書店)、『「昭和天皇実録」講義』(吉川弘文館)、『平成の天皇制とは何か』(岩波書店)、『皇后四代の歴史』(吉川弘文館)がある。
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「その視線は、世界へ!」。明治期、多くの研究者・政治家たちが海外に渡り、進んだ文化を吸収していった。
舟橋 正真ふなばし・せいしん
この巻では、近代国家を形成していく明治期日本が、欧米列強と肩を並べるに至る道程をダイナミックに描いています。
注目は対外関係です。朝鮮の主導権をめぐって日本は、アジアの大国・清国との間で戦争をはじめます。
近代日本最初の対外戦争に勝利した日本でしたが、その後、ロシアが南下政策を進め、満洲そして朝鮮へと進出していきます。日本はイギリスと同盟を結び、ロシアとの交渉を続ける一方で、戦争への準備を進め、最終的に開戦へと至ります。日清戦争後、軍備拡張を進めてきた日本は、多大な犠牲を払いながら「総力戦」としての日露戦争に勝利し、列強の一員となっていきます。その道程は、東アジアにおける国際関係に大きな変化をもたらします。
近代日本の歩みと国際関係を考えるとき、日清・日露戦争は、その後の展開にどのような意味をもったのでしょうか。本巻を通して、世界史的な視点から明治期日本の対外関係をふりかえってほしいと思います。
1982年茨城県生まれ。日本大学大学院博士課程修了。博士(文学)。専門は近現代史で、特に「皇室外交」に詳しい。現在、成城大学非常勤講師。著書に『「皇室外交」と象徴天皇制 1960~1975年』(吉田書店)、共著に『戦後史のなかの象徴天皇制』(吉田書店)、『「昭和天皇実録」講義』(吉川弘文館)、『平成の天皇制とは何か』(岩波書店)、『皇后四代の歴史』(吉川弘文館)がある。
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「声よ、届け! 社会よ、変われ!」。世界的な風潮を背景に、民主主義の意識が高まり、さまざまな社会運動が展開される。
舟橋 正真ふなばし・せいしん
この巻では、大正デモクラシーの時代から恐慌の時代までを描いています。
読者のみなさんは、大正デモクラシーと聞いてどのようなことをイメージするでしょうか? 自由主義的な潮流のなかで、大正期の日本では、政治、社会、文化のあらゆる面で、現代化ともいうべき様相が垣間見られます。政党政治の展開は、まさにその象徴といえるのではないでしょうか。
その反面、「悪法」と称される治安維持法もこの時代に成立しています。また、大正から昭和にかけて、政党内閣の党利党略による政治は次第に国民の支持を失っていきます。
他方、ヨーロッパでは第一次世界大戦が勃発し、世界は未曾有の大戦を経験します。日本はイギリスとの同盟を理由に参戦するいっぽう、中国大陸へと進出していきます。そのなかで日本経済は、大戦をきっかけに空前の好景気を迎えますが、その後の戦後恐慌から金融恐慌への流れは、昭和という新時代の到来に暗い影を落とします。
大正デモクラシーの時代とはなんであったのか、日本がアジア・太平洋戦争への道を歩んでいってしまうその起点はどこにあったのかを、本巻を通してぜひ考えてほしいと思います。
1982年茨城県生まれ。日本大学大学院博士課程修了。博士(文学)。専門は近現代史で、特に「皇室外交」に詳しい。現在、成城大学非常勤講師。著書に『「皇室外交」と象徴天皇制 1960~1975年』(吉田書店)、共著に『戦後史のなかの象徴天皇制』(吉田書店)、『「昭和天皇実録」講義』(吉川弘文館)、『平成の天皇制とは何か』(岩波書店)、『皇后四代の歴史』(吉川弘文館)がある。
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「戦時下の人々はどう生きたか?」。飛行機乗りに憧れる青年。婚約者を待つ鈴子。八重子とクロにも戦争の影が忍びよる。
舟橋 正真ふなばし・せいしん
この巻では、昭和という激動の時代のなかでも、わたしたちが決して忘れてはならない戦争の時代を描いています。
まず、読みはじめる前に、次のことをぜひ考えてみてください。なぜ日本は戦争への道を歩んでしまったのでしょうか。絶えず問われてきたこの問いにみなさんはどう答えるでしょうか。
満洲事変にはじまる日本の戦争への道は、国際的な孤立を深め、日中戦争、そしてアジア・太平洋戦争の開戦へと発展し、内外に膨大な犠牲者をだしたすえに、敗戦に至りました。
戦争をはじめるのは簡単だが終えることは難しいとよくいわれますが、国策を決定した政治家や軍人、そして天皇は、なぜ戦争という決断をしたのでしょうか。そして人々は戦争への道をどのように受けとめたのでしょうか。世界の国々との関係はどのようにして悪化し、戦争へとつながってしまったのでしょうか。
敗戦から七十数年経ち、戦争の記憶が薄らぎつつある今、改めて昭和の戦争がいかなるものであったのかを本巻を通して、ふりかえってほしいと思います。
1982年茨城県生まれ。日本大学大学院博士課程修了。博士(文学)。専門は近現代史で、特に「皇室外交」に詳しい。現在、成城大学非常勤講師。著書に『「皇室外交」と象徴天皇制 1960~1975年』(吉田書店)、共著に『戦後史のなかの象徴天皇制』(吉田書店)、『「昭和天皇実録」講義』(吉川弘文館)、『平成の天皇制とは何か』(岩波書店)、『皇后四代の歴史』(吉川弘文館)がある。
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「平和の灯で世界を照らせ!」。東京オリンピックの聖火最終ランナーに、無名の大学生が選ばれた理由とは?
舟橋 正真ふなばし・せいしん
この巻では、敗戦後の占領下、復興をとげた日本が、高度経済成長のなかで「経済大国」となっていく過程を描いています。占領下の日本では、非軍事化と民主化の諸改革が進められ、基本的人権の尊重・国民主権・平和主義を原則とした日本国憲法が制定されるに至ります。しかしながら、冷戦への移行に伴い、占領政策は、経済復興優先へと大きく転換され、そのなかでサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が結ばれ、日本は独立を回復していきます。
独立後の日本社会は、高度経済成長によって変貌をとげ、「経済大国」への道を歩んでいきます。1964年の東京オリンピックはそれを象徴するものといえるでしょう。経済発展によって日本は豊かになりましたが、その反面、公害が深刻化し大きな社会問題となったことも事実です。
占領の時代とは何であったのか。なぜ日本は復興できたのか。講和と安保がもつ意味とは何か。高度経済成長の功罪とは何か。本巻を通して、激動の戦後を振り返りつつ、現代とのつながりについても考えてみてほしいと思います。
1982年茨城県生まれ。日本大学大学院博士課程修了。博士(文学)。専門は近現代史で、特に「皇室外交」に詳しい。現在、成城大学非常勤講師。著書に『「皇室外交」と象徴天皇制 1960~1975年』(吉田書店)、共著に『戦後史のなかの象徴天皇制』(吉田書店)、『「昭和天皇実録」講義』(吉川弘文館)、『平成の天皇制とは何か』(岩波書店)、『皇后四代の歴史』(吉川弘文館)がある。
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「わたしたちの時代」。持続可能な社会の実現に向けて、これからの日本やわたしたちに求められることとは?
舟橋 正真ふなばし・せいしん
この巻では、昭和後期から平成、そして令和という新たな時代の到来までを描いています。
1970年代の日本では、沖縄返還や中国との国交回復など戦後積み残されてきた問題の解決が成し遂げられていきます。そのいっぽう、高度経済成長の終焉後、経済は安定成長に入りますが、1980年代後半にいわゆる「バブル経済」が発生し、日本は好景気にわきます。
しかしながら、昭和が終わり、平成の時代がはじまって間もなく、「バブル経済」は崩壊し、深刻な不況が続いていくこととなります。「阪神・淡路大震災」や「東日本大震災」に代表される自然災害の頻発、多発する国際テロ、混迷化する国際情勢など、さまざまな問題が現在もなお積みあげられています。
令和の時代が幕を開けた今、わたしたちは昭和から平成の歴史をいかに捉え、現在さらには未来へどう活かしていけばよいのでしょうか。本巻を読みながら、ぜひ考えてほしいと思います。
1982年茨城県生まれ。日本大学大学院博士課程修了。博士(文学)。専門は近現代史で、特に「皇室外交」に詳しい。現在、成城大学非常勤講師。著書に『「皇室外交」と象徴天皇制 1960~1975年』(吉田書店)、共著に『戦後史のなかの象徴天皇制』(吉田書店)、『「昭和天皇実録」講義』(吉川弘文館)、『平成の天皇制とは何か』(岩波書店)、『皇后四代の歴史』(吉川弘文館)がある。
監修者のことば
若狭 徹わかさ・とおる
近年、地球規模での温暖化や大雨などが国際問題となっています。第1巻は、人類が日本列島に登場してから、国の形が生まれるまでの3万年間を扱っていますが、この期間は人々が気候変動に苦しめられ、それに適応してきた歴史でもあります。
氷河期を生き延び(旧石器時代)、温暖な気候がもたらす山海の幸をいただき(縄文時代)、再びの寒冷化を稲作と集団の結集で乗り越え(弥生時代)、国々の争いを豪族連合という平和的な方法でまとめていった(古墳時代)、長い長い歴史ストーリーを楽しんでください。
最近のはげしい気候変動は、人類の未来への警鐘でもあります。賢くこれを乗り越えていくため、わたしたちは歴史に学ぶ必要があります。本巻がその手助けになれば、うれしく思います。
また、本巻では、中央だけでなく地方にも目を向けました。中央と地方の歴史、さらには隣国との付きあいを合わせて紡ぐことで、わたしたちは豊かな日本の歩みを知ることができるのです。